©2010, Angelus Silesius, TVP S.A
子供の頃、メトロポリタン美術館で絵画を眺めながら、ふと登場人物たちが動き出し、そこに吸い込まれる感覚を憶えた。大人になるに連れ、観賞は“入る” よりも、自分の感情との共感へと移っていった。だが映画『バスキア』も監督した美術作家レフ・マイェフスキの新作は、観る者を、ブリューゲルの《十字架を 担うキリスト》という一枚の絵の中へ引き込む。オランダの風俗に象徴的な意味を込めた絵画世界をただ観賞するより、屈託のない子供の笑いや母乳をあげる母 親の肌の感触、衣装の衣擦れや赤い色彩の質感の確かな現実感と、絵画の人物たちが話し、生活する場に自分がいるという奇妙な疑似体験となる。「ブリューゲ ル的な作家」と彼を称した一人の美術評論家の考察から始まった異色作は、観るほどに味わい深く、知的な探求となるに違いない。(江口研一)
2009©coop99 filmproduktion, Essential Filmproduktion, Parisienne de Production, Thermidor
聖母マリアの「奇跡」を求め、巡礼者が後を絶たないフランスのルルド。水を飲めば悪いところが治るとされ、障害のある者、難病を患う者がすがるような気 持ちで毎年訪れる。そこにボランティア、物見遊山の観光客も加えて、希望と絶望に満ちた“儀礼的な”祭が繰り広げられる。監督は日々行われる「奇跡」の認 定を含む真剣なやりとりを淡々と見つめることで、ルルドの曖昧な立ち位置を炙り出し、脚色のない慈愛とドライなユーモアで写しとる。車椅子の少女が突然の 「奇跡」で歩き出した時の彼女と周囲の変化は、人間の性分を露にする。羨望、嫉妬、失望、不安……。監督がそんな登場人物たちのモデルに挙げたのが、実は あの“ハイジ”。すると必然的に車椅子の少女は誰だか分かるというもの。そう考えれば俄然おもしろさは倍増する。(江口研一)
©2010 - Hugo Productions - Studio 37 -TF1 Droits Audiovisuel- France2 Cinema
パリのユダヤ人の一斉検挙はナチスドイツの仕業だと信じられてきた。ところが『黄色い星の子供たち』でも描かれるように、自転車競技場に“監禁”した 後、ユダヤ人がガス室に送られるまでの判断を下したのはフランス政府だったことが後に判明。記録造に執着したナチスと違い、近年まで明るみに出なかったの はフランスによる周到な隠蔽なだけでなく、そのアバウトさのためと言われるのも興味深いが、タチアナ・ド・ロネによる同名小説は、ある家族の行方を探す過 程で過去を発見していく一人のジャーナリストと共に、観客もまたそのむごい事実を発見していくことになる。少女サラの“鍵”が意味するものはあえて“発 見”してもらうとして、僕らがどれだけそれを感情的に近く感じられるかで二度と起きない抑止力になることを願うばかりだ。(江口研一)
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